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第91夜
「両手を覆う人々」



人ごみにまぎれて妙なものが見えることに気付いたのは去年の暮れからだ。
顔を両手で覆っている人間である。ちょうど赤ん坊をあやすときの格好だ。
駅の雑踏の様に絶えず人が動いている中で、立ち止まって顔を隠す彼らは妙に周りからういている。
人ごみの中でちらりと見かけるだけでそっちに顔を向けるといなくなる。
最初は何か宗教関連かと思って、同じ駅を利用する後輩に話を聞いてみたが彼は一度もそんなものを見たことはないという。その時はなんて観察眼のない奴だと内心軽蔑した。
しかし、電車の中や登下校する学生達、さらには会社の中にまで顔を覆った奴がまぎれているのを見かけてさすがに怖くなってきた。
後輩だけでなく何人かの知り合いにもそれとなく話を持ち出してみたが、誰もそんな奴を見たことがないという。だんだん自分の見ていないところで皆が顔を覆っているような気がしだした。
外回りに出てまた彼らを見かけた時、見えないと言い張る後輩を思いっきり殴り飛ばした。

俺の起こした問題は内々で処分され、俺は会社を辞めて実家に帰ることにした。
俺の故郷は今にも山に飲まれそうな寒村である。
両親が死んでから面倒で手をつけていなかった生家に移り住み、しばらく休養することにした。
幸い独身で蓄えもそこそこある。毎日本を読んだりネットを繋いだりと自堕落に過ごした。
手で顔を覆った奴らは一度も見なかった。
きっと自分でも知らないうちにずいぶんとストレスがたまっていたのだろう。そう思うことにした。
ある日、何気なく押入れを探っていると懐かしい玩具が出てきた。
当時の俺をテレビに釘付けにしていたヒーローである。
今でも名前がすらすら出てくることに微笑しながらひっくり返すと俺のものではない名前が書いてあった。
誰だったか。そうだ、確か俺と同じ学校に通っていた同級生だ。
同級生といっても机を並べたのはほんの半年ほど。彼は夏休みに行方不明になった。
何人もの大人が山をさらったが彼は見つからず、仲のよかった俺がこの人形をもらったのだった。

ただの懐かしい人形。だけど妙に気にかかる。気にかかるのは人形ではなく記憶だ。
のどに刺さった骨のように折に触れて何かが記憶を刺激する。
その何かが判ったのは生活用品を買いだしに行った帰りだった。
親友がいなくなったあの時、俺は何かを大人に隠していた。
親友がいなくなった悲しみではなく、山に対する恐怖でもなく、俺は大人たちに隠し事がばれないかと不安を感じていたのだ。
何を隠していたのか。決まっている。俺は親友がどこにいったか知っていたのだ。
夕食を済ませてからもぼんやりと記憶を探っていた。
確かあの日は彼と肝試しをするはずだった。夜にこっそり家を抜け出て少し離れた神社前で落ち合う約束だった。
その神社はとうに人も神もいなくなった崩れかけの廃墟で、危ないから近寄るなと大人達に言われていた場所だ。
あの日、俺は夜に家を抜け出しはしたのだが昼とまったく違う夜の町が怖くなって結局家に戻って寝てしまったのだ。
次の日、彼がいなくなったと大騒ぎになった時俺は大人に怒られるのがいやで黙っていた。
そして今まで忘れていた。

俺は神社に行くことにした。親友を見つけるためではなく、たんに夕食後から寝るまでが退屈だったからだ。
神社は記憶よりも遠かった。大人の足でもずいぶんかかる。
石段を登ってから神社がまだ原形をとどめていることに驚いた。
とうに取り壊されて更地になっていると思っていた。
ほんの少し期待していたのだが神社の周辺には子供が迷い込みそうな井戸や穴などはないようだ。
神社の中もきっとあのときの大人たちが調べただろう。
家に帰ろうと歩き出してなんとなく後ろを振り返った。
境内の真ん中で顔を両手で覆った少女が立っていた。
瞬きした。少女の横に顔を覆った老人が立っていた。
瞬きした。少女と老人の前に顔を覆った女性が立っていた。
瞬きした。女性の横に古めかしい学生服を着込んだ少年が顔を覆って立っていた。
瞬きした。皆消えた。
前を向くと小学生ぐらいの子供が鳥居の下で顔を覆って立っていた。
俺をここから逃がすまいとするように。
あの夜の約束を果たそうとするように…
第92夜
深夜の声

地方の大学に入学したため アパートで一人暮らしを始めた。
3ヶ月たちようやく一人暮らしに慣れ始めた頃、俺はある悩みを抱えるようになった。
夜眠っていると夜中の3時頃に人の話し声がボソボソと聞こえるのだ。
このため声が気になって寝付けなくなり毎朝寝不足で大学の講義中ずっと居眠りしてる状態だった。

「ボソ…ボソ…ボソ…」
今日の晩もまた聞こえる。
いったい誰だろう?壁の薄いボロアパートだから隣の人の声かもしれない。
ひょっとして右隣の部屋に住んでる一人暮らしの爺さんかな?
けどあの話し声は何を言ってるか全く分からないものの複数の声が聞こえるし…
左隣は確か空き部屋だったはず…
ひょっとして俺の幻聴?まさか…
そうだテープレコーダに録ってみよう!
翌朝テープを再生してみるとちゃんと録音されてた。
あの話し声が聞こえる。
良かった幻聴じゃなかった。

後日俺はラジオ局の音響関係の仕事をしている叔父にこのことを相談してみた。
叔父はテープの声を機材を使って解析してみると言いテープを借りていった。

それから数日後叔父から電話がかかってきた。
「待たせたな解析結果がでたよ」
「どうでした?」
「どうしたもこうしたもない、あの話し声は10人以上の人間の声みたいだぞ」
「へ?」
「あとおまえの部屋は確か一階だよな?」
「そうですけど、それが何か?」
「あの話し声はおまえの部屋の真下から聞こえてるみたいだぞ」


第93夜
「カットの指名」



その女は次の日もやって来て俺を指名した。
「えーお客様、昨日カットされたばかりだと思いますが……何かお気に召さないことがございましたでしょうか?」
「ううん、そうじゃないの。あなたの腕前が気に入ったから、今日もお願いしたくなっただけ」
指名してくれるのはありがたいけど、わざわざ二日続けて来るなんて、物好きな客だな。
希望通りに昨日と同じ整えるぐらいのカットをし、仕上がりの具合を確認する。
女は満足げにうなずいた。

次の日、女は三たびやって来た。
「あの、お客様……」
「悪いわね、今日になったらまた気分が変わって。思い切ってショートにしてもらおうかな」
薄気味悪いものを感じたが、べつに営業妨害というわけでもない。
要望通り、かなり短めのショートにする。
ここまで短くすればさすがにもう来ないはずだ。
「もし明日も来たら、間違いなくストーカーか新手の営業妨害だな。気をつけろよ」
と店長に言われる。
はっきり言って笑えない。

嫌な予感は的中し、女は四日連続で店の扉を開けた。
「お客様、申し訳ありませんが……」
「あらごめんなさいね、あなたに髪を切ってもらうのが楽しくて。
それにここまで来たら思い切ってスキンヘッドもいいかなって気がしてきたの」
「申し訳ございませんが当店ではスキンヘッドには出来ません。
他のお店に行かれてはいかがでしょうか」
と店長が丁寧に説明するが、女は引き下がらない。
「それならここのお店で可能なかぎり短くしてちょうだい。
それとも何、きちんと料金を払って文句ひとつ言わない客を、連日来たというだけで追い返せる決まりでも、この店にはあるの?」
女は声も荒げず、いたって落ち着いている。
それだけに余計始末が悪い。店長と相談した。
「もういっそスキンヘッドにしちまうか。そうすりゃ来たくても来られないだろ」と店長。
なんかヤケクソ気味だ。
後で苦情を言わないこと、これ以上短くは出来ないのでしばらくは来店しないこと、この二点を何度も確認し、女の頭にバリカンを当てる。
頭頂の髪の毛を剃り落としていると、つむじのあたりに何か傷跡のようなものが見えてきた。
そしてその形をはっきりと認識したとたん、俺は震えだした。

女が振り返り、「思い出した?」と言って歪んだ笑みを浮かべた。



第94夜
相続



私の弟は税理士をしています。
怪談ではないが彼から聞いた嫌な話をひとつ…

弟はあるクライアントからの依頼で、相続税の申告に携わったそうです。
かなりの資産家で、配偶者は居らず、子供が3人。単純に計算して相続税の合計額が4億5千万円というものでした。
当然、相続人間でもめにもめましたが、遺言通り、長男が不動産の大部分を相続しました。

その間、弟はかなり強引に遺産の分割協議に口を出したそうです。
本来、遺産の分割は民法の範疇であり、税理士が口を出すことではないのですが、田舎のことでよい弁護士も居らず、また申告期限も迫っていたことから、やむなく口を出したといっていました。
長男はこのことをかなり根に持っていたようです。

意外と知られてませんが、不動産で何十億も相続しても、相続税は現金で払うのが原則なので、相続税が払えない人が結構いるのです。払えない人は物納したり不動産を売却したりして、結局は財産を失ってしまうことになります。

ある日、弟が息子を保育園に連れて行こうと玄関を開けると、目の前に異様なものが飛び込んで来ました。
長男が玄関で首を吊っていたのです。
弟はびっくりして急いで下に降ろそうと長男の体を抱えた瞬間、あるものを見て気を失ったそうです。

長男の背中には赤のペンキで文字が書かれていたのです。
「お前の子供にこの苦しみを相続させてやる」と…


第95夜
ストーカー相談」



俺は親が5店経営してる飲食店の一つを担当している2代目なんです。
担当している店はちょっと洒落た喫茶店って感じで、バイトの子もターゲットの層に合わせて若い子を雇ってます。
大体10代後半から20代前半ばかりで、俺が半分用心棒みたいな感じ。

1週間前、女子大生のバイトのIさんが「相談があるんでちょっといいですか…?」と聞いてきたんです。
二人で事務所の奥の方に移って話を聞くと、「私、最近ストーキングされてるみたいなんです…」との事。

若い子ばっかりなので、接客サービスで勘違いした奴等も多く、今まで似たような事も何度かありました。
Iさんが言うには、アパートの周りをウロウロしたり、バイト後尾けられたりしてるらしい。
気持ちが悪いし怖いけど、実害がまだ無いから警察にも届けにくいそうです。

結局、「今日は無理だけど、何なら明日警察についていくよ」と宥め、家まで送る事になったんです。
アパートの前に着いた頃はIさんはかなりビビってて部屋まで送って欲しいと言われました。
ちょっと脳内で勘違い爆裂させそうだったけど、様子を見たら本当に怖がってるんで真面目になった。

Iさんは部屋に入ると少し落ち着いたようでお茶を出してくれたんですが、ホッと一息つこうとした瞬間電話が!
怯えるIさんを尻目に俺が電話に出ると…
「誰だ!テメー!俺のIに手を出すとマジで殺すぞ!今すぐそこを出ねーと火つけるぞゴルァ!」
ってな感じで叫ばれ続けたんです。(聞き取れなかった部分が多かったです)

予想してた通りの電話なので冷静に、
「あんたがどこの誰だか知らないけど、これ以上尾けまわしたりすると警察呼ぶよ」
と伝えると、罵声が少しずつ両方の耳で聞こえてきたんです。

こっちが黙ってると、少しずつ罵声が大きくなり最後には部屋の前に…
ドアを壊さんばかりに叩かれて、手に負えんと判断し警察に通報。
しばらくIさんを落ち着かせながら、罵声のヒアリングを楽しんでた。

15分くらいで警察が到着し、御用に。それからは、お決まりの手順で事情聴取。
Iさんは心底ホッとした感じで、Iさんの洒落怖話は終った…

と思ったら30分くらい前から無言電話がかかってきまくってんだけど……どう思います?


第96夜
「オカルト好きのビデオテープ」



俺の友達Aはオカルト好きな奴だった。
ある日Aが俺に見て欲しいものがあると言ってビデオテープを渡してきた。
なんでも幽霊がでるというある廃トンネルに真夜中にネットで知り合ったオカルト仲間とともに
行ったらしく、そのトンネル内をAが撮影したものらしい。
見てみるとAのオカルト仲間達が薄暗いトンネルをライトで照らしながら歩いていた。
するとAが、
「そこでとめてくれ」
俺は慌てて一時停止ボタンを押した。
「左端の方をよーく見てくれ」
見てみると子供が背中を向けて立っていた。
かなり不気味だ…。
「言っとくけどやらせじゃないぞマジだから」
何か胡散臭いな~と思いつつ、このビデオを別の友達Bに見てもらおうと思い、Aからビデオを借りた。
そしてBに先入観なしで見て欲しかったので、何の説明もなく「見てほしい」と渡した。

その晩、Bから電話かかってきた。
「ビデオ見たよ心霊スポットを撮影したんだろ?」
「そうAが撮ったんだ、何が写ってるかわかった?」
「子供だろ!? 何か胡散臭いよな」
「そうそう、アレたぶん人形か何かだろう」
「まー不気味であることには変わりないけどね。なんかすごい目が光ってた」
「でもAはやらせじゃないって言い切るだろうな」
「アハハハハハ」



【解説】
AさんとBさんとでは、ビデオに出てくる子どもの様子が違う。



第97夜
「タクシー」



その晩は遅くなりタクシーの運転手は森の中で迷っていた。
「おかしい」

おかしい。さっきから誰かの視線を感じる。
まさか幽霊なんてものじゃないだろうな。
運転手は怖がりなので冷や汗をたらしながら前を見てた。

すると
「すいません」

いきなり女が出てきた。

「うおっ」
運転手はびっくりし、あわてて車を止めた。

「すいません、ちょっとおくまでのせていただけないでしょうか?」
「ああ、はい」

まさかこれが幽霊。
まさか、な

「どこまでいくんですか?」
「もうちょっと奥です」
運転手はげんなりしながらミラーで女を見つめた。
(これは幽霊だろう)
降りる時になって後ろを振り向いたらいない、つまりあれだ。
よくあるネタ。
それなら早く降りてしまえばいいのに…
運転手がミラーを見ると女が映る。

(あれ、まだいる)
だが、じきに居なくなるだろう。
そして
(まだいるなぁ…)
いい加減にしてほしい。
こっちもつかれているのだ。幽霊ごときに振り回されたくない。

「お客さんつきましたよ」
運転手が後ろを振り向くが女はいない。

「やっぱりな…」
あれは幽霊だったんだ。
そう思い前を振り向くと


「つれてきてくれてありがとう」


首をつった女の姿があった。



第98夜
携帯電話



夜居酒屋でバイトしてた頃、残業してたらいつもの電車に間に合わなくて、途中の寂れた駅までしか帰れなかった時があった。
その日は給料日前日で全然金なくて始発出るまで公園で寝てたんだけど、寒さで腹壊しちゃってトイレに行ったの。

そしたら少しして隣の個室に人が来たんだけど、何か電話しながら入って来たみたいで話が聴こえて…
外からは車の音とかするんだけど、トイレの中かなり静かだから相手側の声も微妙に聴こえたんだ。

「ん?うん、分かってるって。あはは!あ、ごめんごめん。何?」

『・・なった・・い つか・・』

「あぁ、そーだなー。大丈夫だって。気にすんなよ。え?おう。あははっ!やだよ。なんでだよ!ふふ。うん。そーなの?」

『たしか・・かけ・・し・・』

「そうだっけ?おう・・あー、そうかもしんね わり!ちょっと待ってて」
で、トイレから出ようとした時、隣から…
かさっ、しゅっしゅっ。と言う音と同時に、はっきり相手側の声が聴き取れた。


『ったでんわばんごうは げんざい つかわれておりません
ばんごうをおたしかめのうえ おかけなおしください  おかけになったでんわば…』

「もしもし?わり。タバコ。で、何だって?ああ、そりゃおま」

急に怖くなり駅まで走って、駅前で震えながらシャッターが開くのを待ってた。
ただ物凄く気味が悪くて怖かった。思い出すとまだ夜が怖い。



第99夜
「過保護」



ある女が私の自宅前で自殺した。
二人に接点は何もなかったので事情聴取もすぐに終わった。
女の両親は本当に何もしてないのかと最初はAを疑ったが、やっと私を信じてくれ、お詫びにと自宅に誘った。
誘いがしつこいので私は行くことにした。

両親は娘のアルバムを何冊も見せ、思い出話を語った。
過保護というやつである。
ふと、ある写真が目に入った。男の子が骨折している写真である。
これは?と聞いたら
「娘にぶつかってきたので、私が階段から突き落としました」
と、父親は穏やかな顔で言った。

こいつ、何か変だ…私は帰ろうとしたが、なかなか帰らせてくれない。
アルバムがめくられる。
全身火傷をした子ども…
「娘に花火を向けたので、灯油をかけて火をつけました」
頭皮がはがれている子ども…
「娘の髪をひっぱっていじめていたので、柱に縛りつけて髪を全部抜いてやりました」
「あ、死体は全て庭に埋めてるんですよ」

穏やかな顔で私を見る。
私は怖くてたまらなくなった。
こいつらやばい、やばい…
逃げなくては…
逃げなきゃ私は……

両親はもう一言。

「Aさん最後にもう一度聞きますよ。あなたは本当に娘に何もしてないんですね?」



第100夜
「嘘を一つだけ」



今日はエイプリルフールだ。特にすることもなかった僕らは、いつものように僕の部屋に集まると適当にビールを飲み始めた。

今日はエイプリルフールだったので、退屈な僕らはひとつのゲームを思い付いた。
嘘をつきながら喋る。
そしてそれを皆で聞いて酒の肴にする。
くだらないゲームだ。
だけど、そのくだらなさが良かった。

トップバッターは僕で、この夏ナンパした女が妊娠して実は今、一児の父なんだ、という話をした。
初めて知ったのだが、嘘をついてみろ、と言われた場合、人は100%の嘘をつくことはできない。

僕の場合、夏にナンパはしてないけど当時の彼女は妊娠したし、一児の父ではないけれど、背中に水子は背負っている。
どいつがどんな嘘をついているかは、なかなか見抜けない。
見抜けないからこそ、楽しい。

そうやって順繰りに嘘は進み、最後の奴にバトンが回った。
そいつは、ちびり、とビールを舐めると申し訳なさそうにこう言った。

「俺はみんなみたいに器用に嘘はつけないから、ひとつ、作り話をするよ

「なんだよそれ。趣旨と違うじゃねえか」
「まあいいから聞けよ。退屈はさせないからさ」


そう言って姿勢を正した彼は、では、と呟いて話を始めた。
僕は朝起きて気付くと、何もない白い部屋にいた。

どうしてそこにいるのか、どうやってそこまで来たのかは全く覚えていない。
ただ、目を覚ましてみたら僕はそこにいた。

しばらく呆然としながら状況を把握できないままでいたんだけど、急に天井のあたりから声が響いた。
古いスピーカーだったんだろうね、ノイズがかった変な声だった。
声はこう言った。


『これから進む道は人生の道であり人間の業を歩む道。選択と苦悶と決断のみを与える。歩く道は多くしてひとつ、決して矛盾を歩むことなく』 って。

で、そこで初めて気付いたんだけど僕の背中の側にはドアがあったんだ。
横に赤いべったりした文字で

『進め』
って書いてあった。

『3つ与えます。
ひとつ。右手のテレビを壊すこと。
ふたつ。左手の人を殺すこと。
みっつ。あなたが死ぬこと。

ひとつめを選べば、出口に近付きます。
あなたと左手の人は開放され、その代わり彼らは死にます。

ふたつめを選べば、出口に近付きます。
その代わり左手の人の道は終わりです。

みっつめを選べば、左手の人は開放され、おめでとう、
あなたの道は終わりです』

めちゃくちゃだよ。どれを選んでもあまりに救いがないじゃないか。
馬鹿らしい話だよ。でもその状況を馬鹿らしいなんて思うことはできなかった。
それどころか僕は恐怖でガタガタと震えた。

それくらいあそこの雰囲気は異様で、有無を言わせないものがあった。
そして僕は考えた。

どこかの見知らぬ多数の命か、すぐそばの見知らぬ一つの命か、一番近くのよく知る命か。
進まなければ確実に死ぬ。
それは『みっつめ』の選択になるんだろうか。嫌だ。
何も分からないまま死にたくはない。

一つの命か多くの命か?そんなものは、比べるまでもない。
寝袋の脇には、大振りの鉈があった。
僕は静かに鉈を手に取ると、ゆっくり振り上げ動かない芋虫のような寝袋に向かって鉈を振り下ろした。

ぐちゃ。鈍い音が、感覚が、伝わる。
次のドアが開いた気配はない。もう一度鉈を振るう。
ぐちゃ。顔の見えない匿名性が罪悪感を麻痺させる。
もう一度鉈を振り上げたところで、かちゃり、と音がしてドアが開いた。

右手のテレビの画面からは、色のない瞳をした餓鬼がぎょろりとした眼でこちらを覗き返していた。

次の部屋に入ると、右手には客船の模型、左手には同じように寝袋があった。
床にはやはり紙がおちてて、そこにはこうあった。

『3つ与えます。
ひとつ。右手の客船を壊すこと。
ふたつ。左手の寝袋を燃やすこと。
みっつ。あなたが死ぬこと。

ひとつめを選べば、出口に近付きます。
あなたと左手の人は開放され、その代わり客船の乗客は死にます。

ふたつめを選べば、出口に近付きます。
その代わり左手の人の道は終わりです。

みっつめを選べば、左手の人は開放され、おめでとう、あなたの道は終わりです』

客船はただの模型だった。
普通に考えれば、これを壊したら人が死ぬなんてあり得ない。

けどその時、その紙に書いてあることは絶対に本当なんだと思った。
理由なんてないよ。ただそう思ったんだ。

僕は、寝袋の脇にあった灯油を空になるまでふりかけて、用意されてあったマッチを擦って灯油へ放った。
ぼっ、という音がして寝袋はたちまち炎に包まれたよ。
僕は客船の前に立ち、模型をぼうっと眺めながら、鍵が開くのをまった。


2分くらい経った時かな、もう時間感覚なんかはなかったけど、人の死ぬ時間だからね 。たぶん2分くらいだろう。
かちゃ、という音がして次のドアが開いた。

左手の方がどうなっているのか、確認はしなかったし、したくなかった。

次の部屋に入ると、今度は右手に地球儀があり、左手にはまた寝袋があった。
僕は足早に紙切れを拾うと、そこにはこうあった。

『3つ与えます。
ひとつ。右手の地球儀を壊すこと。
ふたつ。左手の寝袋を撃ち抜くこと。
みっつ。あなたが死ぬこと。

ひとつめを選べば、出口に近付きます。
あなたと左手の人は開放され、その代わり世界のどこかに核が落ちます。

ふたつめを選べば、出口に近付きます。
その代わり左手の人の道は終わりです。

みっつめを選べば、左手の人は開放され、おめでとう、あなたの道は終わりです』

思考や感情は、もはや完全に麻痺していた。
僕は半ば機械的に寝袋脇の拳銃を拾い撃鉄を起こすと、すぐさま人差し指に力を込めた。

ぱん、と乾いた音がした。ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。

リボルバー式の拳銃は6発で空になった。

初めて扱った拳銃は、コンビニで買い物をするよりも手軽だったよ。

ドアに向かうと、鍵は既に開いていた。何発目で寝袋が死んだのかは知りたくもなかった。

最後の部屋は何もない部屋だった。

思わず僕はえっ、と声を洩らしたけど、ここは出口なのかもしれないと思うと少し安堵した。
やっと出られる。そう思ってね。

すると再び頭の上から声が聞こえた。
『最後の問い。
「3人の人間とそれを除いた全世界の人間。そして、君。
殺すとしたら、何を選ぶ」

僕は何も考えることなく、黙って今来た道を指差した。

するとまた、頭の上から声がした。
『おめでとう。君は矛盾なく道を選ぶことができた。
人生とは選択の連続であり、匿名の幸福の裏には匿名の不幸があり、匿名の生のために匿名の死がある。
ひとつの命は地球よりも重くない。
君はそれを証明した。
しかしそれは決して命の重さを否定することではない。
最後に、ひとつひとつの命がどれだけ重いのかを感じてもらう。
出口は開いた。おめでとう。おめでとう』

僕はぼうっとその声を聞いて、安心したような、虚脱したような感じを受けた。
とにかく全身から一気に力が抜けて、フラフラになりながら最後のドアを開けた。

光の降り注ぐ眩しい部屋、目がくらみながら進むと、足にコツンと何かが当たった。

三つの遺影があった。

父と、母と、弟の遺影が。

これで、おしまい」

彼の話が終わった時、僕らは唾も飲み込めないくらい緊張していた。
こいつのこの話は何なんだろう。
得も言われぬ迫力は何なんだろう。
そこにいる誰もが、ぬらりとした気味の悪い感覚に囚われた。

僕は、ビールをグっと飲み干すと、勢いをつけてこう言った。
「……んな気味の悪い話はやめろよ!楽しく嘘の話をしよーぜ!
ほら、お前もやっぱり何か嘘ついてみろよ!」

そういうと彼は、口角を釣り上げただけの不気味な笑みを見せた。
その表情に、体の底から身震いするような恐怖を覚えた。
そして、口を開いた。

「もう、ついたよ」



【解説】
作り話をするよ」←これが嘘
Secret

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